Dr.HARUDr.HARU
一ノ瀬の日々。
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ちょっと真面目に語ってみたくなりました。
思いっきり私の私生活の話だし、もしかしたら読まれて気分を害される方もいらっしゃるかもしれません。
それでもよろしければ、お付き合い下さいませ。
去年の秋頃、私は定時制通信制高校の生活体験発表大会というものに出場しました。
毎年5月頃になると、その生活体験発表に出す人を選ぶために生徒は作文を書かされます。『生活体験発表』というくらいですから、個々の人生の中での体験とか、それを踏まえた上での高校生活についてのことを綴ります。
私、おととしはこの作文がどうしても書けませんでした。
過去の自分がどうしても認められなかった。自分では認めてたつもりだったけど、だけどやっぱり許せていなかったし昔の自分が嫌いだったのでしょう。
当たり障りのないことを書けばよかったのだけど、私は文章で嘘を書くことがどうしても出来ないのです。
私が生活体験発表を書く、ということは、その昔の自分を書くこと以外はすべて薄っぺらな夢物語になってしまうから、私はこの出来事を書くしかなくて。
だけどどうしても書けなかった。当時の担任は、笑って許してくれたけど。
おととしまで学校でいろいろな経験をして、去年三年生に進級して、四月頃、私は大学へ進学しようと決めました。希望は、心理学。
そこで何かが吹っ切れたのもあるし、既に高校最後の年だから後腐れもなく、そしてこれがラストチャンスだということで。過去の自分を認められないと言っても、でもやはりずっと自分でも認めてあげたかったのでしょう。
私は初めて過去の自分と真正面から向き合って、自分の過去を、嘘偽りなく、赤裸々に作文用紙7枚程に綴りました。
正直、すっごく怖かったです。
書くことはそんなに苦痛じゃなかった。今までのうっぷんを晴らすように、すらすら書けた。
それを人に見せることが、ものすごく、怖かった。
ずっと軽蔑されるんじゃないかって思ってました。この話をしたら、みんな私から離れていくんだろうって、たぶん心のどこかで思っていました。
先生に原稿用紙を渡すとき、手が震えてしまった。笑って渡したけど、内心泣きたくて堪らなかった。逃げ出したかった。でもそれじゃ何も進めないから。
私の過去を、それを知らない人に初めて伝えた瞬間でした。
先生は何も軽蔑なんてしなかった。私を嫌な眼で見たりしなかった。
ただ一言、「頑張ったね。これを書いてくれてありがとう」。…今度こそ、涙が出るかと思いました。
私の概念が、あっけなく崩れ去った瞬間でもありました。
校内選考を通過して、県下最大のホールで作文を読んで。何も知らない人に向って読むのはすごく勇気がいることだったけど。その作文を読んだから、私は昔の自分をちゃんと認められて、愛しいものだと思えるようになりました。
きっとそれは、人が私を認めてくれたから。
英語の先生や友達は、その作文を聞いてたら涙が出た、とまで言ってくれました。その言葉を聞いた私の方こそ涙が出たんですけど(笑)。
何が言いたかったって、先日教頭先生に頼まれてた地元紙に載せる原稿が、1日付の新聞に掲載されていたらしいのです。今度は作文用紙2枚程、何も恐れることはなく、また私の体験を綴りました。
そしたら今朝の9時頃。電話が鳴ったので出てみればなんと。小学6年のころの担任じゃありませんか。
新聞読んで電話をくれたらしいです。おお~びっくりした…。
思いがけないところまで、私の声は届いていました。電話、すごく嬉しかった。
もうちゃんと向き合える。昔の自分も今の自分も、ちゃんと。
少しだけ時間はかかったけど、昔の私と、ようやく手を繋ぐことができたのです。
一緒に歩いていきましょう。
私はとても、幸せものです。
思いっきり私の私生活の話だし、もしかしたら読まれて気分を害される方もいらっしゃるかもしれません。
それでもよろしければ、お付き合い下さいませ。
去年の秋頃、私は定時制通信制高校の生活体験発表大会というものに出場しました。
毎年5月頃になると、その生活体験発表に出す人を選ぶために生徒は作文を書かされます。『生活体験発表』というくらいですから、個々の人生の中での体験とか、それを踏まえた上での高校生活についてのことを綴ります。
私、おととしはこの作文がどうしても書けませんでした。
過去の自分がどうしても認められなかった。自分では認めてたつもりだったけど、だけどやっぱり許せていなかったし昔の自分が嫌いだったのでしょう。
当たり障りのないことを書けばよかったのだけど、私は文章で嘘を書くことがどうしても出来ないのです。
私が生活体験発表を書く、ということは、その昔の自分を書くこと以外はすべて薄っぺらな夢物語になってしまうから、私はこの出来事を書くしかなくて。
だけどどうしても書けなかった。当時の担任は、笑って許してくれたけど。
おととしまで学校でいろいろな経験をして、去年三年生に進級して、四月頃、私は大学へ進学しようと決めました。希望は、心理学。
そこで何かが吹っ切れたのもあるし、既に高校最後の年だから後腐れもなく、そしてこれがラストチャンスだということで。過去の自分を認められないと言っても、でもやはりずっと自分でも認めてあげたかったのでしょう。
私は初めて過去の自分と真正面から向き合って、自分の過去を、嘘偽りなく、赤裸々に作文用紙7枚程に綴りました。
正直、すっごく怖かったです。
書くことはそんなに苦痛じゃなかった。今までのうっぷんを晴らすように、すらすら書けた。
それを人に見せることが、ものすごく、怖かった。
ずっと軽蔑されるんじゃないかって思ってました。この話をしたら、みんな私から離れていくんだろうって、たぶん心のどこかで思っていました。
先生に原稿用紙を渡すとき、手が震えてしまった。笑って渡したけど、内心泣きたくて堪らなかった。逃げ出したかった。でもそれじゃ何も進めないから。
私の過去を、それを知らない人に初めて伝えた瞬間でした。
先生は何も軽蔑なんてしなかった。私を嫌な眼で見たりしなかった。
ただ一言、「頑張ったね。これを書いてくれてありがとう」。…今度こそ、涙が出るかと思いました。
私の概念が、あっけなく崩れ去った瞬間でもありました。
校内選考を通過して、県下最大のホールで作文を読んで。何も知らない人に向って読むのはすごく勇気がいることだったけど。その作文を読んだから、私は昔の自分をちゃんと認められて、愛しいものだと思えるようになりました。
きっとそれは、人が私を認めてくれたから。
英語の先生や友達は、その作文を聞いてたら涙が出た、とまで言ってくれました。その言葉を聞いた私の方こそ涙が出たんですけど(笑)。
何が言いたかったって、先日教頭先生に頼まれてた地元紙に載せる原稿が、1日付の新聞に掲載されていたらしいのです。今度は作文用紙2枚程、何も恐れることはなく、また私の体験を綴りました。
そしたら今朝の9時頃。電話が鳴ったので出てみればなんと。小学6年のころの担任じゃありませんか。
新聞読んで電話をくれたらしいです。おお~びっくりした…。
思いがけないところまで、私の声は届いていました。電話、すごく嬉しかった。
もうちゃんと向き合える。昔の自分も今の自分も、ちゃんと。
少しだけ時間はかかったけど、昔の私と、ようやく手を繋ぐことができたのです。
一緒に歩いていきましょう。
私はとても、幸せものです。
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